幼少期、元々、内にこもりがちで本音を誰かに伝えることがニガテだった私は、自分でこれをしてみたい、そう思っても通らない、選択権がない家庭に育ちました。大きくは進路なども私自身に決定権がないいわゆる親の決めたレールに乗ったような人生でした。
3歳から自宅が音楽教室だったことも重なり、私は音楽教室の講師になるため、やってみたい事もありましたがその都度反対され、やはり講師になりました。就職先は大手楽器店、システム講師。その仕事内容は本当に激務で能力のキャパシティをはるかに超える様々な事をこなさないといけないお仕事でした。最初の一年、何度となく辞めたいと親にこぼしました。ですが辞めるなと言われ気づけば3年。3年必死になって働く中、拒食と、過食を繰り返す事に…。ストレスの吐口でした。その癖は、恥ずかしくて誰にも言えず悩みでした。その後、自宅で鍵盤楽器の教室を始めたのですが同時期、母が働いていた職場でも働くようになりました。相変わらずストレスの吐口として食べては吐き、だんだん気持ちもすり減り自暴自棄になり心療内科に通いだしました。そういった状況の中、1人の男性と出会いました。はじめて自分のことを大事にする気持ちが芽生え、親にその気持ちを伝えました。しかし、その頃父が亡くなりそうしてまた取り巻く状況が一変、お付き合いしていた方ともほどなく別れ24歳で別の方とお見合い結婚をしました。女の子1人を授かり、自分の二の舞をこの子にはさせたくないという気持ちで、育児書や数少ないママ友と関わり合いながら、一生懸命子育てをしました。子育てしながら自分自身も成長させてもらった気持ちです。現在はその子も成長し、長野県で社会人として生活をしております。いつの間にか、吐きもどしもしなくなり、20年近く処方され飲み続けた薬も、飲まないと決めてから飲んでおらず、子育ての忙しなさの中、自分も精神的に強くなったのではないかと思います。とはいえ、たった1人の子供が就職先に選んだ場所は、遠く離れた長野県。本音を言えば少し寂しいです。ですが紆余曲折ありましたから、私も彼女に負けないくらいに自分らしく生きようと思っています。
しあわせの価値観は人それぞれです。
あなたの心の悩み、苦しみが少しでも軽くなるサポートが出来たらなと考えています。
どうぞよろしくお願いいたします。
心理カウンセラー
中野 聡子